安康天皇陵

奈良県奈良市宝来四丁目
第二阪奈道路の宝来入り口近くにあります。


第20代天皇「あんこう天皇」と読むこの方、
名前は穴穂皇子(あなほのみこ)です


入り口遠〜〜い。


かなり血なまぐさい人生のせいで、在位3年で暗殺されています。


祖父は有名な仁徳天皇。4人兄弟の末っ子。
允恭天皇の第三皇子。

何故血なまぐさいかと言うと…

最初、長男の木梨軽皇子が皇太子に立てられました。
木梨軽皇子は日本書紀に
「容姿佳麗、見る者おのずから感ず」と記されるほどの美男子

さらにその下の姉ちゃんも美人。
その二人が近親相姦の罪を犯しまして…
姉は流刑、兄も穴穂に自殺に追いやられ第一の後継ぎは消えます。
(古事記には流刑先まで追いかけていって心中とあります)

その後、穴穂皇子が即位しました


更に即位後には
3番目の妹のダンナ(父の異母弟:大草香皇子)を殺害、
その同母姉の「長田大郎女」を奪って皇后にするという
何考えてたんだろう?と思わせる暴れ振り…。


しかし、殺害した大草香皇子の子供、わずか7歳の眉輪王(まゆわ)が
父は穴穂皇子に殺された事を小耳に挟んでしまい、
天皇の昼寝の隙を見て首を跳ねて殺します。

この眉輪王もまた、安康天皇の弟、後の雄略天皇に殺されるんです。
因果な話。


さてこの古墳。
丁寧に宮内庁が管理していますが
専門家の間では「絶対天皇陵じゃないで。」と有名な古墳。

見事なお堀ですがこれは古城の後だと言われています。
現に発掘調査では古墳なら必ずある「埴輪や葺石、陶磁器」などの埋葬品が確認できなかったからです。

地元の地名も「宝来町古城」




だからと言って…

あちこち柵が開きっぱなし

お堀どころか…墳丘も入り放題…

こんな無防備な古墳…



はじめて見た…。