しかしそこは逸話。(←またコレだ)
これから推測するに、不幸な事故死説が有力だと思われます。
木々に囲まれているので拝所が外からは全く見えません。
道路に戻ると裏はこんな。
どっから見ても三輪山と重なってえもいわれぬ美しさです。
日本書紀の「壬申の乱」でも
大海人皇子方が上ツ道の守りに当たり、
箸墓のところで近江(大友皇子)軍と戦い、大いにこれを破った
と記されています。
さらに日本書紀の説話では
「昼は人が作り、夜は神が作った」
と記されています。
それだけ昼夜を問わない大規模な工事だったのだろうと言われています。
昼間は人が作って…
夜は神様がねえ…。
早い話が昼夜を問わず人をコキ使ったということか。
ふぅん…(=ε=)物は言いようだな。