長屋王


悲劇の死を遂げた事で有名な長屋王。
御陵は奈良県平群町梨本にあります。


高市皇子を父とし、正妃が吉備皇女、子が膳夫王、桑田王、葛木王など。
長屋王と吉備内親王は共に天武天皇の孫に当たります

?(676)729自殺により没

715年、皇位継承者から外れた彼は「親王」となり
右大臣藤原不比等が死去後は名実共に政権トップとなりました。

特別な待遇を受けた長屋邸での優雅な生活。
また、文人だった彼は「万葉集」や「懐風藻」に詩や和歌が残っています。


そんな長屋一家に(何だかこう呼ぶとビンボウ一家みたいだな…)
729年2月12日(旧暦)悲劇が。

ある日突然、彼を疎ましく思っていた藤原四兄弟
(武智麻呂・房前・宇合・麻呂)らの軍隊に
彼の屋敷は取り囲まれます。
「長屋王の変」です。


掛けられた疑いは「呪術で聖武天皇を呪った」事。

もちろん陰謀。
謀反の罪をきせられたわけです。

親王待遇が悲劇の引き金となってしまった彼…
妻子全てに毒を飲ませ自ら絞殺。
自分も毒を飲んで自害しました。

長屋王一族は一瞬で滅亡したのです。
短い栄華の日々でした。


これは吉備内親王(奥様)の御陵前からみた長屋王の御陵遠景。

とても近くにあります。

この夫婦の御陵。場所的には疑わしいらしいのですが
奥様がスグそばで見守っている感じがとても良かったのでので
「もうここでいいじゃん」と思っちゃいました。



さて、長屋王といえばその豪華@優雅@広大な邸宅が有名です。
「長屋王の変」の舞台にもなったその場所にも「ちょっと行ってみたいわ。」と思う方は
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