さて、逸話の話に戻りますが
その代表的なものが左近の桜・右近の橘という慣わしの(この時代は左近の梅だった)開祖の逸話。
(でも実は古来中国王宮のまねなんだけど…)

拝所の中にある左の木はみかんの木です。


シーズンには↓ちゃんとミカンがなってます。



垂仁天皇の時代、当時但馬の国主だった
「田道間守(たじまもり)」(先祖が新羅(現:韓国)からの渡来人)が
天皇に「南方にあるという一年中いい匂いのする長寿の実を探してきて」と頼まれました。
そもそも外交に長けていた彼は9年も南方を探し続け、見つけて帰ってきたら…


天皇が死んでた!!ガーーン。



140年も生きられたんだから、もうちょっと待っててよ。(;´Д`)
というお話です。



問題はその後の田道間守です。


一説には 嘆き悲しんで墓にみかんの木を捧げて死んでしまった。というのもあれば、
はるばる次期天皇である景行天皇に渡しに行ったとか
残念に思いながらも気候のいい和歌山県下津町橘本(←本当にこんな地名なんだよ)に植えたとか
半分自分で食ったとか。(←つっこみどこ)
とにかくやったことが感激されて↑天皇陵のすぐ横に葬られました。




さらに天皇に人生を捧げたという美談で
後世には
「田道間守陵特別拝所」まで作られました。

まあよく考えれば、紀州和歌山に有田ミカンを伝え、
右近の橘の発祥伝説を作り上げ!



すごいぞ!田道間守!!!
ビヴァ!田道間守!


…あれ?



          何だか腑に落ちないが帰る→              ←さらに垂仁天皇陵のセキララな秘密に迫る。