天武天皇・持統天皇陵


高市郡明日香村


壬申の乱の超有名主人公、大海人皇子(おおあまのおうじ)と、
皇后としても一人の女性としても有名な鵜野(菟野)讃良皇女
(うののさららのひめみこ)
超珍しい夫婦合葬の御陵です。




正確に言うと、先に天武天皇が埋葬されて朱漆の柩の中に。
その後崩御した持統天皇は火葬されて骨を銀の箱に入れ、さらに金銅の容器に入れて追葬されていました。





普通、天皇陵は場所や被葬者が明確に分かっていないことが多いのに、
なぜここはハッキリと「天武・持統天皇陵」であって、
その内容まで詳しく知られているかというと…



とっても几帳面な盗掘家がいたからです。(*´д`*)




鎌倉時代、ここに盗掘に入った盗掘家は、なんと古墳マニア。(←は!?)



なので盗掘しながら「石室は…フムフム…石棺は…ほうほう…」などと
記録付けてたんです!!



な…なんたる余裕…



中の人たちもビックリです。




その盗掘記録「阿不幾乃山稜記」(あふきのさんりょうき)が明治時代に発見され、
この場所や詳しい内容が特定されたわけです。




ここは盗掘がたびたびあった様で、
藤原定家の日記「明月記」にもそのことが記されています。
ちなみにこの藤原定家の日記は、日本で始めて超新星の爆発の記録という方面で有名です。