調べてみたらアンタ、
実は六角墳でした。
ヽ( ´∀`)ノあはは〜(混乱中)
…
………
ウッカリ、まるくしちゃったじゃん。
(ノ∀`)
2004年の調査でこの辺に↓一辺約10Mのコーナーが見つかりました。
六角形の古墳は全国でもコレ意外に二例しかない珍しい形状です。
八角形が天皇・皇太子クラス、六角形が皇子クラスという
当時の中国思想が反映されていると考えれば、
騒がれるのは無理ありません。
なので先走って、つい
こう書いてしまうのも↓無理アリマセン。
ではここは一体誰の古墳か?という論争で、
一番有力視されているのが
「川島(河嶋)皇子」(天智天皇の子)です。
彼の事を検索すると、「大津皇子」「謀反」「密告」
という文字がもれなく付いてきます。
もう言わんとすることはわかりますね。(*´∀`人)
(↑またかっ!)
そんな彼も 691年の9月9日に亡くなり、
古墳にはかえるのフレデリコが住んでいます。
写真クリック↓で同じ9月の風景がガッツリ見れます。
本当に中の人が皇子として苦悩した日々を
過ごしていたであろう「川島皇子」なら
「円くしてくれてよかったよ」というと思います。
そして
「まるい みこ こふん」
ま、マルコ山古墳・・・
すごく戻る 遠くへ行きたいと思う。