明治時代、宮内庁が御陵を定める時、
このよく分からない形の丁字の前方後円墳という点と、4世紀後半のものという2点から
「ここ御陵っぽいよね!」ということになり、御陵指定を受け、今に至ります。

教訓「人生どうなるか分からない」(by 日本武尊)




「丁字塚」を検索してみたら全部この御陵がヒットするのでここしかないのかな。
とはいえ、どんな形やらさっぱり。

余談ですが、「三重県」の名前の由来は日本武尊伝説の一部から来ています。
日本武尊がここで倒れた際に、「疲れた、足が三重に折れるようだ」と言ったから
三重県になったんだって。



岐阜で言ったら「岐阜県」が三重県に!
続けて「腰も痛いしサ…」と言ったら「腰痛県」に!!


( 'д)ヒソ('д`)ヒソ(д` )



…話を戻しマス。



大和への帰路で倒れこんだ日本武尊は
ここ能褒野の地で、望郷の想いを歌に詠みます。

あ、この河川敷は「安楽川」


倭は 国のまほろば 
たたなづく 青垣 山こもれる 倭しうるわし

大和の国は優れたところ 幾重にも重なる山々に囲まれた、美しい大和。

他、時世の句も含めて4首歌を残して死んでしまいます。
ま、そのうち某サイトで時世の句があがるかも。
詳しくはそこに任せてだ。



そこからが問題だったのです。




日本武尊の亡くなった場所は能褒野と記されているのですが、
その続きのおかげで全国に御陵が散らばってしまいます。


日本武尊の御霊は、
美しい一羽の白鳥へと姿を変え、
大空へ羽ばたいていったのです…

(ノ∀`)(ノ∀`)(ノ∀`)
ス、スバラシイ…

ちょっとまて!!
鳥の飛散は墓の飛散や!




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