円墳ですが、めずらしい形状の石室から
「磚槨墳」とも呼ばれます。
この積み方は終末期にみられ、
とくに榛原周辺では多く見られる珍しい形状です。
両袖式にも綺麗に積まれています。
この積み方はちょうど朝鮮半島で流行っていたらしく
流行の最先端好きの墓か渡来人系の墓だと思います。
個人的に。
「おれ、墓は磚槨式にするんだ」( ̄ー ̄) フフン
と自慢した頭首の顔が浮かびますね。
浮かぶか…?(-_-;)
ま、日本人は今も昔も新しいもの好きですね
さて、墳丘は移築なのでどこまで確認するものなのか分からないんですが
18mの終末期の円墳。
須恵器や土師器が出ています。
後頭部 後方部からです。
しかしここ、県指定古墳なのに古墳の案内が探しても探しても
公園の注意書きばかりで見当たらない。
おかしいなあ、数年前、整備される前は
案内版が石室の目の前にあったらしいのに…。
それはコドモたちに調べようとさせる
気配りか?それとも
古墳の存在は極力避けたいのか?
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