御破裂山頂 鎌足塚
〜まず古墳か?〜

桜井市多武峯 御破裂山頂




談山神社の裏手から入山して向う御破裂山。

名前からして間欠泉でもあったんだろうかと思わせるこの山は
正直古墳扱いしていいものかどうか。(いきなり…




古伝によると(なんの古伝か)、
鎌足は669年に死去後、摂津国阿威山に葬られたが、
その後に唐より帰朝した長男定慧が、どっかに改葬したということです。
それがここだという説から山頂が「鎌足塚」とされています。

しかし根拠なし。
「奈良県遺跡マップ」にもその存在が見当たらないしな。




入山から20分ほど登ります。
途中の談山は半分くらいのところで分岐。

遠くに朦朧と見えてくるのが塚のようです。
後で調べたら、別に神社に入山しなくても脇から上るといけるみたい。




ところで、鎌足を祀っているという「談山神社」の公式サイトには
【「延喜式」諸陵墓の割注に多武峰墓の被葬者を藤原不比等とす。】
と書いてあります。

じゃーチガウじゃん!!!ヽ(`Д´)ノギー
と、わめきながら↑拡大アリ。

と思ってたけど駐車場の裏に不比等の墓標があったんだって。



海が無いのに海抜かあ…。難しいなあ。

案内板に立て主の記載がないので、多分神社か
藤原有志が立てたものでないかと思われます。


しかも木々の話をするあたり、セールスポイントが相当無い模様。




この像かどうかわかりませんが
御破裂山は、天下に異変が生じる時には、山が鳴動とともに
藤原鎌足公像が破裂(亀裂が入る)すると知られていました。


怒ったら裂けるて。
をいをい、君はタマゴ王子か?

1607年の破裂の際には、後陽成天皇が、これまでの破裂記録を作らせたとか。
その古文書は談山神社公式サイトに載っています。
「何時何分の方向に裂けた」とか書いてあってオモシロス。





小泉劇場の時は割れなかったんだろうか。
いままでの歴史上の一大事に比べたら
たしたことない事だったのかな。


↑クリックで拡大アリ。




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