はい、では出ましょう!


今度は玄室から北の奥室へ向かいます。

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北の奥室から出つつ、奥室観察。
うぉう。(゚∀゚)ノ


石棺2基と木棺1基があったというのはこのあたりかな??

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北の奥室からピョッコリでます!
臨時にしちゃ、こっちの方が広いし入りやすくていいわ。


↑アレ石棺のカケラかな??落ちた石かな?
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はい、ご苦労様!


いやぁ、すごかったね!
新聞で引き合いに出されてた巨石作りの石舞台より古いのに、
見た目はこっちのが最新型に見えるんだよね。





そこで3・サンでは、
真弓鑵子塚の謎について考えてみたいと思います!!(o ̄∇ ̄o)/イヨッ


緊急企画!真弓鑵子塚の真実を考察!!!


 1・渡来人の奥様が「ゴツイ石の墓なんてイヤだわぁ。モダンな外国風に作って〜ん。(*´∀`人) 」と言った。
 2・東漢氏の有名建築家が「デザイナーズモデルルーム石室」として公開する予定だったが、公開前に
   その有名建築家「マユミ・デ・クレール」が先にポックリいってしまい、仕方なくそのまま埋めた。
 3・石室は「東漢氏オリジナル!!入ったように見せかけて、淋しくなったら時々出られます」
   という売り文句で売り出される予定の「シークレットブーツ的石室」だった。
 4・その大陸からの技法が書かれた「翻訳!模地奥李 秘伝の書」をウッカリ一緒に埋めてしまい、追葬で発見されたが、
  「ちゃぶ台くらいの大きさの石を…」という部分の「ちゃ」の部分が腐敗しており、
  「石舞台古墳」は秘伝の書の通りに舞台くらいの大きさの石で持ち送ってしまった。
  作ってみてみんなが「なんか違うな〜」と思ったが、「まあいっか精神(´▽`)」で乗り切った。
 5・そんな大雑把でいい加減な人柄細かく神経質な人柄とは文化的に馴染めず、しばらくは
   「アイツはアイツ、俺は俺。」的な石室作りが続いた。
   だんだん血が混ざって「神経質だけどいい加減な人」や「ガサツだけど繊細な人」など人柄と石室にバリエーションがでた。
  「繊細で奥ゆかしい」などは、その後のちょびである。
 6・「石室の石の大きさが権力の大きさ!」「石室の石の数が部下の数!」という権力者のステータスが
   同時に広まった。 しかし後者のうわさが勝ち、セン積などに見られるように7世紀後半には大変なことに。
 【その他想像されること】
 ○実は古墳ではない。
  「マユミのバカンス」
というタイトルの壮大な美術建造物だった。
 ○埋葬者はヅラだった。
  そんな彼の夢と希望を形にすべく、石室の形を頭皮にたとえ、墳丘にモサモサ茂る木々や雑草に夢を託した。
 


じゃ、あとはお任せします。\(o ̄∇ ̄o)


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