ま、想像通りの後方部。


墳頂は山城に再利用されていました。
戦国時代に高松城水攻めの時毛利方が築城したらしい。





葺き石だといいな石もゴロゴロしています。






墳頂からの眺め。【盛大な拡大】


今は眼下に陸地が広がりますが、古代は海でした。

大阪も市内あたりは古代は全部海で
入ってくる船に立派な巨大古墳が自慢できるように作られたんだけど、

この古墳も海から立派な古墳が見えるようになってたんだと思います。

えっへん!8( ̄ー ̄)8 =3





遠くには鬼ノ城。謎の城。


いろんな本読んでると
「吉備は中央集権になってからもは大和と同じくらい富も権力あったのに
だんだん力を削がれていった。」
「反乱しては制圧された」

みたいなこと書いてあって

どうせ倭国の自伝は自分に有利な話しか書かないので
潰しにかかったのは間違いないと思う。

なんか申し訳ない気持ち。。(´・ω・`)ショボリ。






じゃあ次は前方部へ。


「この前方部の頂には祭祀に使用された台形壇があったと想定される」って

ウィキペディアが!(´▽`) (←堂々)



案内版があるよ。


左右どっちもリンクがあるから読んでみてね。




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