調子丸塚古墳
太子ロマンの町と謳われる生駒郡斑鳩町大字東福寺
4〜5世紀の円墳です。
名前を聞いて「ん?」と思ったアナタは聖徳太子ファン?
そう、聖徳太子の舎人「調子丸」の墓だと伝承がある古墳です。
詳しい位置はこちらを見てみましょう。
国道25号線の手前には
聖徳太子の愛馬、黒駒を葬ったと伝えられているる「駒塚古墳」があります。
左の奥、遠景に見えるのは「駒塚古墳」です。
どちらの古墳からもの周りからも
粘土を焼いて作った祭事用とみられる「土馬」が出土しています。
さて、百済からやってきた調子丸、
聖徳太子は彼以外の舎人を置きませんでした。
調子丸は87歳まで生きたと言い伝えられています。
人生40代な時代にえらい長生きしたもんだ。
ひょっとしたら2人いたのかもしれません。
法隆寺の馬屋には「聖徳太子黒駒調子丸」と書かれていて、
中を見ると手綱を引く者調子丸の像が安置されています。
ささ、、「調子丸ってどんな人?」と思われる方。
先ほどお話しました法隆寺の彼の像を見に行きましょう!レッツゴ〜♪
え?入り口?
クリックですよ、恒例のク・リ・ッ・ク。