手白香皇女衾田陵
(たしらかのひめみこふすまだりょう)


天理市衾田


山沿いに大型古墳が連なる大和(おおやまと)古墳群の中でも
ひときわ巨大な手白香皇女(
たしらかひめみこ)衾田陵

4世紀初頭の前方後円墳です




「西殿塚古墳」とか「衾田陵」とか「白手香皇女衾田陵」とか
いろんな名前で呼ばれています。


ちなみに「衾」とは「掛け布団」みたいな
「覆い」って感じのことだと。


継体天皇の皇后、「白手香皇女」の御陵と言われていますが今はその説は薄いようです。

今話題の(大阪府茨木市にある今城塚古墳が本当の御陵だろうと言われている)第26代「継体天皇」は
507年〜531年に生きた6世紀担当の天皇。




4世紀前半といわれる衾田陵は
その200年前に作られているということになっちゃう…。

ちなみに継体天皇は武烈天皇でいったん途切れた天皇家に
いきなり現れた謎の多い天皇。
また行ってくる。



この古墳は高い場所にあるのでちょっと、いや結構歩いて上がるけど
天理の街が一望よん!ヽ( ´∀`)ノ

よくみるとポコポコと古墳も見えます。
さすが古墳地帯天理。
古墳多杉。


戻る           進む