早速ジロジロみてみましょう。

この石棺は案内にもあったように、作りがありあわせ、急ごしらえなのです。

作りかけの、しかも売れ残りの石材を利用。
石棺サイズも木棺や人が縦に入る大きさでなく、どう考えても「焼いて埋葬」「二次葬」。
さらに向きが一般的な「だいたい東西」でなく、変な方向です。





すでに盗掘にあっていましたが、骨も木棺の破片も出てきませんでした。
遺体はなく、加工されて骨壷に入っていたらしいです。


この蓋も下の石棺と併せて作られた感じではありません。



ここで、トップで語った「うつそみの〜」の歌を思い出してみましょう。



あの歌には
「大津皇子の屍を葛城の二上山に移し葬る時、大伯皇女の哀しび傷む御作歌」
という題詞が添えられています。

現在、宮内庁が管理している「大津皇子御陵」は、この裏手の雄岳の山頂とされています。
「じゃ、あっちが本物じゃないの?」と思いますよね。
よね?


「よーく考えよう〜♪オマエはアヒルだよ〜♪」

そこは確かに「御陵らしく」作られています
大和盆地が一望できるような場所、向きも東西。まさに、権力者の墓。



でもそれがおかしいのです。

彼は反逆者として死んだ人でなのでぃす。

天皇の血筋であってもひとたび罪人となれば適当にしか葬られなかったこの時代にです。
豪華な墓はちょっと変かも、という説は有力ですね。
築造年代も新しすぎるしね。