さて、正面は古墳の前方部です。今度こそ上がっていきましょう!

実はこの殿の庭のような古墳…


実は…


じつは・・・


ホントに殿ンちだったのです!!!Σ(゚д゚ノ)ノ

そう、ここはこの古墳の墳丘を利用して中世には布施氏が屋敷を立て、
江戸時代には紀州から移ってきた桑山氏も
陣屋(新庄城)・武家屋敷を建てたのにゃ。
だから屋敷山なのにゃ。

by ネココ。





結構上がります。

そのくせ以外に質素な墳頂です。




でも
見晴らしはサイコー!
訪れた8割の人は 「余は満足じゃ。」と言いたくなります。




眼下には併設施設も一望できるので
「真ん中が我が家の迎賓館、
この庭はほんの500坪くらいですのよ。」


などと言ってみると、より当時の暮らしが共感できます。


お約束の看板にも


オマエが驚いてどうする。

一応突っ込んどく。