さて、この古墳は昭和9年に
京都大学の地震観測所増設の時に発見されました。
古文書や埋蔵品の豪華さから「藤原鎌足の墓では??」と騒がれ話題に。

ということで詳細は案内で!(←あっ!他力本願!ヽ( ´∀`)ノ
見たい部分を↑クリックしてください。
今回は古墳にネタが少ないので案内板は
それはもう細かく区切ってありますよん。全部で七枚あります。がんばって。




そして案内板の目の前にあるのが、石室位置です。
木と柵に囲まれて周囲は綺麗に掃除してあります。

「鎌足の墓」と言われているのでここで、藤原鎌足についてお勉強しましょう。




藤原鎌足は614年生まれ。でも活躍中の名前は「中臣鎌足」。
大化の改新の時に大活躍というか、入鹿の暗殺に加担。
以後、天智天皇政治の中枢で大活躍した人。

死んで「最初は摂津国の安威(現在の大阪府茨木市)に葬られたが、
その後、息子によって大和の多武峯に改葬された」とされています。

改葬されたんだったらどうしてここに骨があるんか。という
素朴な疑問もあるけれど、まそれは、「古代のロマン」ということで
おいといて。



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