北古墳と南古墳は、「今木双墓」(いまきのならびはか)と呼ばれていたそう。
「一時は並んだ大小の古墳ということで
蘇我蝦夷・入鹿の古墳では?と騒がれましたのよ」 (´-ω-`)
パカ。
結局、年代が違ったらしい。
石室が6世紀後半っぽいので、今は巨勢氏の墓だろうということだったヨ。
全長約13M、玄室長さ約5、5M、高さ約3、3Mほどの
巨大石室だよ〜ヽ( ´∀`)ノ
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御所市の図書館だよりに「茅原狐塚古墳」と
同じ設計図なんじゃないかと思うくらい石室の構造がが似てると
書いてあったので、拡大ではちょっと比較中。
水泥塚穴古墳の見所はゴロゴロと土管が出土したこと。
石棺内部から羨道を貫くように何本もつなげてあったみたい。
【拡大】 ハシッコに土管↑アリ!
天井デース【拡大】
副葬品はナシ。
二上山の凝灰岩のカケラがちょっと見つかった程度なので
凝灰岩の石棺があったんだろうって程度デス。
「我が家でこうして2つの古墳を守っておりますのを
大変誇りに思っております。」 (´-ω-`)
「2つ・・・だと・・・(゚д゚)」ざわ・・・ざわ・・・
「水泥南古墳も私有地ですの。
後でどうぞご見学あそばせ」(´-ω-`)
【拡大】 うらやますう。(>_<")
こちらはお宅の別棟の一室を展示用に解放してパネルや出土品を展示してあります。
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街の文化財への素晴しい貢献振りは、市長から表彰状も!
もどr すすそい