この磚積振り、ハンパないです。ヽ(゚▽゚)ノ(←白目

古墳時代の終末期の特徴ともいえる磚槨式は
桜井市〜宇陀から散らばったかのように、
明日香や奈良市にも若干点在します。

なのでこの形状の古墳は被葬者は

1・直球 渡来人(地元から連れてきていた職人がいた)
2・渡来家系(上に同じ、もしくは技術を伝達された人がいた)
3・珍しいもの好き地元豪族(墓で流行を先取りして自慢したかった)

が考えられますが、ここは埋葬品から一応「3」が有力だとされています。


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