ヤマトタケルノミコトは、
『古事記』では倭建命、『日本書紀』の日本武尊と表記。
文献の性格もありますが、名前からもその人物像に若干察しがつきます。

古事記では「あちらを平定したらこっちへいけと…オレ、親父に嫌われている?」と嘆く倭建命ですが、
日本書紀では
「霊剣『草薙』であらゆる危機を乗り越え各地を平定、天皇の自慢の息子だった」などと
日本武尊
ギガ英雄として謳われています。




入り口は相当地味です。
もっとマツケンみたいにしたらいいと思います。

存在時期4世紀ごろ、実在していたかどうか疑わしい人ですが、
日本武尊は西の町から南の町まで、ジャパネットのごとく進出し、
ヤマト政権の勢力拡大に貢献しました。





地方でのんびり暮らしていた人にとってはいい迷惑です。

しかし日本各地には
「日本武尊が座った石」「日本武尊が鞍をおいた石」「日本武尊が手を洗った水」
「血をぬぐった場所」「杖を突いた坂」など
すごいアイドルぶりが伺える縁の場所や伝承が残っています。




さて彼は、「大和に帰る途中に病にかかり、伊勢の能褒野(能煩野)で没した」とあります。
だいたい三重県鈴鹿市周辺だと思われます。

それを受けて以前からこの該当地域周辺に「ここじゃないか?」と伝わる古墳が5基ありました。

でも能褒野陵は「ここじゃないか説」にも上がっていなかった最無力候補でした。


しかし無名だった女優マヤは…
あ、ちがった。



日本武尊陵は
丁字塚と呼ばれる前方後円墳です。

「T(ティー)」ではありません。「丁」です。
前にトリビアの泉を見た人はご存知かもしれませんが読み方は「ていじ」です。
ちまみに「T字路」でなく「丁字路」です。


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