さて、日本武尊が亡くなり、白鳥になってむやみやたらに飛びまわったせいで
「ここにも」「あっちにも」「隣の県にも」と
日本武尊の御陵だという古墳はたくさんありました。
(ま、未だに大阪や名古屋、奈良にもあるよ。)
下の写真と同じ角度で対比させるために
今回お呼びした↓「白鳥くん」です。
ちなみに話し言葉の語尾は「に」です。
(↑分かる人いるのか?)
三重県最大の円墳でしたが、全長90Mの帆立貝式古墳でした。
「白鳥くん」↑と同じ角度でのショットです。
ちょうど看板の裏あたりは前方部にあたりますね。
案内板と墳丘↑は拡大画像でごらんいただけます。
(墳丘はちょっと250KBと重め)
現地説明会ではトレンチ4部分あたり
さて、この古墳は
幕末から明治時代にかけて尊皇運動の一環として行われた
今となってはアヤシイ天皇陵指定作業の際に、
日本武尊陵の最有力候補に上がっていた古墳でした。
以下
「ひょっとして参考地になっていたかも…?」
という目線でご覧頂くと悲しさが倍増します。(ノ∀`)
東西面に一部葺き石が残っているのは、
周囲を囲う遊歩道を歩くとスグに見つけられます。
かなりゴロゴロと葺き石が…
適当な管理のおかげてこの露出ぶり。ありがたいやらそうでないやら。
この辺りがトレンチ5が入った部分。
墳丘の下には有志が作った石碑が。
以前はヤマトタケル石像もあったらしいが無くなってる。
怒られたか…。(=ε=)
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